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労基署は 動かざること 岩の如し (本気の俳句)

この記事は、私が生まれて初めて労基署に行ってみた経験についての記事である。

 

結論から言うと、私は労基署というお役所に落胆している。市民、納税者、労働者のために存在しているはずが、その使命はかなり多くの割合で果たされていないであろうことがわかった。率直にいえば、税金の無駄遣いレベルの仕事しかしていない。

 

お役所ともなれば迂闊なことはできず慎重にならざる得ない気持ちはわかるし、一応色々なネット記事も読んでみたけど、労基署職員でもないし法のプロでもないからお役所が動くための前提条件もはっきりとは分からない。また、明文化されていない色々なルールや慣習もあって、総合的に動くか動かないか決めるのだろう。こっちからすれば、目的達成を阻害しているルールがあるなら取っ払うのも仕事だろうと思うが。

 

そして、どんな理由があろうと、その帰結は苦しんでいる労働者を放置し、労基法違反をする企業を放置しているという事実だけである。そして、この事実に照らせば、労基署は仕事をしていないと言える。

 

前置きが長くなったが、私がなぜ労基署に行ったのかについてお話する。

 

私は現在、どこに出しても恥ずかしくないぐらい法律違反スペシャリスト認定可能な組織で働いている。

法律違反という道において右に出る者はいないであろうその道のエキスパート経営陣なので、違反事項を全て深掘りしていくとそれだけで労務のプロになれそうなぐらいの知識が身につき、記事のボリュームは膨大なものとなって、とても片手間に読めるようなものではなくなってしまうだろう。「短編エッセイでも書いてろ」という話になってしまう。

したがって、この記事では労働基準監督署はどれぐらい労働者にとって利用しやすい(しにくい)ものなのか、実際に相談に行ってみた経験談のみを記したい。

 

私の勤務先が現在時点で侵している法の数はなかなか笑えるほどの数だが、その中でも労働者として一番身に堪えるのは給与不払いである。

私の勤め先は外国人の教育に関する事業をしており、令和3年1月から外国人の入国が制限されたことによって、同年3月分以降、本来の支給額の半分又は3分の1の給与しか支払われていない。これに付随して、本当は払ってない給与の給与明細を渡してきたり、令和3年分の源泉徴収票も満額払った体で発行してきた。

虚偽の給与明細とか源泉徴収とかも所得税法など色んな法律に引っかかるのに太い根性してると思う。

 

どこから片付ければ・・・・・レベルの違反の数々で、それこそ違反内容によっては労基署とは管轄が違うものもあるわけだが、こうしたブラック企業への対抗の第一弾として労基法違反(給与不払を始めとする労基法違反各種)から片付けよう、ということで勤務先のある横浜市西区の管轄である「神奈川労働局横浜北労働基準監督署」に行ってみたわけである。

 

この労基署は新横浜駅の目の前にあり、行くだけならとても便利な場所である。労働者にとって願ってもない心強いアクセス環境だ。

 

中に入ってみると、一次受付のような方が用件を聴いてくれる。

「相談」とか「申告」とか種別があるわけだが、申告と言うと少しビックリした顔をされた。

担当官という人が取り込み中とのことで20分ぐらい待たされ、その間、一次受付の方が申告内容の概要を聴きとってくれる。今思えば、一番親身に話を聞いてくれたのは、担当官でもその上司でもなく、この一次受付の方だった気がする。

 

この日、私は様々な証拠書類を用意して行った。給与振り込み口座の通帳コピー、労働契約書、給与明細、私に限らず多くの同僚が同様に給与の支払い遅延を受けていることを示す携帯電話の交信内容のスクリーンショットなどなるべくたくさんの証拠を用意していった。

 

担当官が来ると、早速申告の内容についての話となった。私は会社の違反内容について説明し、持参した証拠書類を一通り見せた。

 

違反内容も極めて明確で、証拠も揃っているので、申告したい違反内容はすんなり理解してもらった。

 

担当官から「では会社に立ち入りを行います」という言葉が聴けるのだろうと思ってワクワクしていたら、担当官の答えはこうだ。

「企業にあなたの実名を明かす形でなければ立ち入りは行えません」ときた。さらに立ち入りに当たっては「申告した人の実名を出し、その人に対する労基法違反是正の指導しかできません」だそうだ。

 

予想外すぎる回答に数秒固まってしまった。

 

・・・・・・・は?

 

実名を出して労基署に通報なんかしたら、労基法違反状態が解決したとしても、通報した人がその企業内で不遇な目に遭ってしまうという恐れがあリますよね?

実際そういう状況が起きたケースが過去の五万とあり、そういうケースがいくらでもあるから「通報したことを理由にその従業員に対する処遇を変えてはならない」いう決まりがあるわけですよね?

さらに、立ち入った結果、同時に色んな従業員に対する労基法違反状態が発見されるのは目に見えてるわけだけど、その人たちに対する労基法違反状態は是正しないの?

そもそも、匿名通報では動かないというなら、労基署がたまにやったりする抜き打ち検査とか臨検って何を根拠にやってるの?毎回通報がある時だけやって、その通報者の実名出してやってるの?

 

色んな疑問が出過ぎて、全部ぶつけてみたら、担当官は上司のところに相談に行った。

5分ぐらい上司らしき人とあーだこーだ話したあと戻ってきて、「やはり企業に申告者の実名を伝えずに立ち入り指導を行うことはできません。実名を出さないと、企業に立ち入りの根拠を説明できないんです」だそうだ。

 

もう何を言っても無駄だと思い、わかりましたと言って帰ってきました。

 

明白な結果として言えることは、「労基法違反の事実(証拠)が目の前にあっても労基署は放置した」ということと、「明白な労基法違反を、血税の投入によって賄われている公機関は解決に動かなかった」ということだけです。

 

一市民として、日本社会に深い憂いを覚えた出来事でした。

 

 

 

未婚化(非婚化)時代についての所感 〜祖父母やご先祖様たちに学ぶこと〜

生涯独身率が上がり続ける時代ですね。

結婚できない・しない人々が増えることは、少子化や生涯独身者の老後に関連する諸問題など、様々な社会問題につながっていきます。

 

少子化って本当に問題なのか?」とか、「人生も多様化の時代だし結婚っていう制度そのものがどうなのか?」とか、色んな議論はありますが、それはひとまず置いといて。

 

今回言及したいのは、「結婚したい」、「いつかは結婚するつもり」っていう人が大半なのになぜ結婚できないのかという点です。

そして、私は男性なので、あえて男性から見た女性の問題点を書いてみたいと思います。

 

とはいえ、先にお断りしておくと、これは私個人の所感なので、男性みんなそう思ってるということではありませんので。

また、男性には何も問題が無いと言いたいわけでもないので悪しからず。

 

もっといえば、男性だろうが女性だろうが完璧な人間なんていないし、完璧ではないなりにも大人としての自覚と自立心を持った者同士で支え合って、一筋縄ではいかない困難の連続である「人生」というものを共に乗り越えながら家庭を作っていくのが結婚だと思っています。

 

もちろん色んな要素があると思いますが、特に私が感じるのは、すでに巷で言い尽くされていることですが、やはり結婚に求めるものが多すぎたり、人生に対する考え方が甘かったり、要は贅沢な人が多すぎることが未婚化の原因だと思うのです。

 

慣習的に機能していた地縁血縁からの紹介やお見合い、職場の「出会いの場」としての機能が時代に移り変わりによって弱くなってきたことで、マッチングアプリや結婚相談所などの婚活サービスが活況の時代を迎えています。

 

こうしたサービスでは婚活者は自分の思い描く理想の相手を検索してはお見合いやデートを申し込んだり断ったり断られたりを繰り返すわけですが、女性にとって理想の相手の判断基準の中でトップに上がるのは、やはり「お金」ではないでしょうか。

様々な調査では「性格」が結婚相手を判断する基準の1位になったりするものもあるようですが、「お金」とは思ってても言い難い人もいるであろうことも考えれば、やはり「お金」は極めて大きな要素だと推察します。

そして、不況、格差拡大によってお金が無い人が今の日本に増え続けていることが、生涯未婚率上昇の大きな原因なのは間違いないでしょう。

 

「女は結局金しか見てないって言いたいんでしょ」と非難を受けそうですが、やはり女性がお金を超重要視しているというのは紛れもない事実だと思います。

 

私自身、知人女性たちと結婚に関する話の中で「年収400万円以下の男じゃムリ」という発言も聞きました。また、自分の体験で言えば、「専業主婦になりたいからあなたの収入では・・・・」という理由で私から去っていった女性もいました。(体の良い断り文句として利用しただけで、本当は私の人間性に魅力が無かっただけかもしれませんが)

 

ここからタイトルを回収したいのですが、私は一昨年祖母を亡くしました。

 

お恥ずかしい話ですが、祖母を亡くすまで、私は祖母の一生を想像したことはありませんでした。

断片的に知る祖母の情報はもちろんありましたが、祖母の人生全てに思いを馳せるということはしたことが無かったんです。その祖母の人生が無ければ今の自分は無かったにも関わらず。

祖母はどんな家庭に生まれて、どんな風に育って、どんなきっかけで結婚して、何を思いながら、どう生きて93年の人生の最期を迎えたのか。祖母の死後、何ヶ月もの間そんなことばかり考えていました。

 

祖母は、戦争が終わった2年後に結婚しました。今より日本中が遥かに貧しかった時代です。

生活水準なんて高いわけもありませんし、贅沢なんてもってのほか。

お金も無ければ便利な家電だってありません。戦争に行っていた祖父はまだまだ駆け出しのサラリーマン。高度経済成長がこれから訪れるなんてまだ誰も知る由もなく、安定的な生活の保証なんてどこにもありません。新婚時代の写真に笑顔で写る祖母は、いつだってツギハギのある着古した割烹着でした。

 

そんな時代のなか、4人の子どもを育てながら、自宅で近所の子ども向けの塾を開いたり、一生懸命貯めたお金で家を増築して学生を下宿させ、いわゆる「下宿のおばさん」として学生たちの食事を作ったりと、とにかく強く生きて4人の子全員に高等教育を受けさせました。

祖父は祖父でもちろん一生懸命働きましたが、祖父の収入だけではそこまでのことはできなかったでしょう。

 

祖父母たちは、焼け野原となった戦後の日本で、お金も無ければ何の保証も無い中で結婚して、一生懸命働き、子を育ててきました。だからこそ私たちはここに存在しています。

 

当時はみんながそうだったから、それが当たり前の社会だから、何の疑問も持たずに貧しさが障害にならずに結婚していたんだとも言えるでしょう。

 

しかし、こうした祖父母たちの人生を想うと、今の婚活当事者たちの結婚相手に求める条件はとんでもない贅沢病にしか見えないのです。

 

ある程度のゆとりや保証のある生活をしたい。そしてそれができるだけの収入を人に求めて当たり前という思考。

こうした他者への期待、依存というのは、子が親に対してするものであって、大人が大人にするものではありません。今の婚活当事者たちは、いい歳をした大人が親に変わる新しい保護者を求めているようなものと言っても過言ではないでしょう。

 

「安定した生活が欲しい」。

それは誰もが望むものでしょう。しかし、欲しいものがあれば、自分たちの力で工面するのが大人です。

親が自分たちに与えてくれた安心や安定、物質的・経済的・精神的な拠り所。今度は自らがこれを次の世代に対して「与える」立場になるのです。しかし、現代の婚活当事者たちはいつまでも「もらう」立場にいようとして、その前提で結婚を考えているように見えます。

 

こんな他力本願で依存志向の精神でいいのでしょうか。祖父母たちに比べて、私たちは情けなくも人間として退化してしまったのではないでしょうか。

 

とても貧しく、便利な家電も無い中で一生懸命3人、4人といった子供たちを育てて命を繋いできてくれた世代がこんなに身近にいるのに、とても便利なモノやサービスに囲まれ、育てる子供の数も祖父母世代の半分程度なのに、それでもあれも足りないこれも保証してくれなきゃ困ると要求する。しかし、ご先祖様たちは、自分の力で、あるいは家族や身近な人や社会の中で互いに支え合いながら子を育ててきたのです。

 

今婚活をしている世代は、高度経済成長やバブルの時代の中で育てられ、専業主婦の母と会社員の父という両親のもと、物質的・金銭的に何の不自由もない、とても高い生活水準の中で育ってきた人が多い世代なのかもしれません。

したがって、それが当たり前と思い込み、そうした生活が自動的に自分以外の誰かによって保証されて当たり前と思ってしまうのかもしれません。

 

しかし、そんな時代が長い日本の歴史の中でどれだけあったのでしょうか。数千年のうちの数十年に過ぎません。もっと言えば人類誕生以来20万年のうちの数十年に過ぎません。

不況とはいえ、今の私たちは数十年の高度経済成長・バブル期を除いて、歴史上最も一日先の衣食住や命の心配がない時代に生きていると言ってもいいかもしれません。

ご先祖様たちは、20万年間、私たちよりずっと大変な思いをしてここまで命を繋いできたといっていいのではないでしょうか。

 

子を持つ意思、家族を持つ意思がありながら、歴史上最高に近い現在の生活水準以上の生活という贅沢を他人に求め続けて、結局最期まで一人で人生を送り、受け継がれてきた命の繋がりを経ってしまうという結果になったとき、どんなに大変な時代でもここまで命を繋いできてくれたご先祖様たちに、一体どんな顔をすればいいのでしょう。

 

もちろん確固たるポリシーを持って結婚も子を持つこともしないという人はそれでいいでしょう。

あくまで、結婚も子どもも望んでいながらお金や条件に拘っている人たちに対して言いたいのです。

 

未婚化(非婚化)やそこから派生するあらゆる社会問題の進行を少しでも食い止めるために必要なことの一つに、骨の髄まで染み込んだ贅沢根性と幼い精神性があると、感じずにはいられません。(自分自身も含め)

 

 

 

 

 

「FRIENDSHIP 」H Jungle With t

ダウンタウン浜田雅功さんが歌手活動をしていた時期があったことを知る人は今だとどれぐらいいるのだろうか。30代の私が思春期に聞いていたような曲って、意外にも若い人も結構知ってたりするので、結構知ってる人もいるのかもしれない。

 

H Jungle With t というユニットは、当時最大のヒットメーカーであった小室哲哉さんとの活動だった。

 

しかし、このH Jungle With t と聞いて「FRIENDSHIP 」を思い浮かべる人は少ないのではないだろうか。

芸人と小室さんというユニットも目新しくなくなってきていたのか、主題歌として採用されたドラマが想定外にコケたからなのか、筆者が数少ない友人に調査したところではこの歌はあまり知名度が無い。

 

でも、この歌がとても胸に響くんですよ。

特に30代になって浅いながらも少々の人生経験を積んできた今聴くと。

そして、長い経済不況と分断される人々、災害、猛威を振るう感染症。目を覆いたくなるニュースの数々に皆が孤立化した温もりの無い社会。

こんな暗い未来ばかりが想像できてしまうこんな時代に聴くと。

 

ブログ初心者なもので、著作権とかしっかりビビってるので、歌詞をそのまんま掲載するのではなく、この若輩者こと私がこの歌を聞いて受け取ったメッセージを綴る形をもって紹介にかえさせていただきたく。


信じても、裏切られることだってある。

失敗することも、何かを失うこともたくさんある。

世の中はとてつもなく大きな力で動いて、追い縋っても、何も得られない、何もできない。歯痒さだけが、いつまでも心に積もっていく。

思い描いた未来は、どこまでも遠く遠く遠ざかっていってしまう。

 

でも、世の中が正しいかなんて、時代が正しいかなんて、誰にも決められない。

不器用でも、上手くいかないことばかりでも、前を見つめ、心の灯を絶やさず、向かい風でも優しくて強い心だけは決して手放すな。大切な志と大事なもののために立ち上がり続けよう。抗い続けよう。

こんな時代を生き抜いた先に出会える未来は、そんなに悪いもんじゃない。

 

表現力の無さたるや筆舌に尽くし難いほどの低次元なので、上手く伝えられませんが、心が寒くなってしまうこんな時代でも、この歌からこんなメッセージ性を得て、私は前向きな気持ちになれます。

 

小室さんの書く歌は、曲調がフォーカスされることが多い気がしますが、詩が良い歌がとても多いんです。

 

先の見えないコロナ禍、募る政治不信や人間不信。間違いなく逆境と言えるこの時代に、この曲は前を向き続ける気丈さを与えてくれます。

 

ぜひ聴いてみてください!!

 

music.rakuten.co.jp