未婚化(非婚化)時代についての所感 〜祖父母やご先祖様たちに学ぶこと〜
生涯独身率が上がり続ける時代ですね。
結婚できない・しない人々が増えることは、少子化や生涯独身者の老後に関連する諸問題など、様々な社会問題につながっていきます。
「少子化って本当に問題なのか?」とか、「人生も多様化の時代だし結婚っていう制度そのものがどうなのか?」とか、色んな議論はありますが、それはひとまず置いといて。
今回言及したいのは、「結婚したい」、「いつかは結婚するつもり」っていう人が大半なのになぜ結婚できないのかという点です。
そして、私は男性なので、あえて男性から見た女性の問題点を書いてみたいと思います。
とはいえ、先にお断りしておくと、これは私個人の所感なので、男性みんなそう思ってるということではありませんので。
また、男性には何も問題が無いと言いたいわけでもないので悪しからず。
もっといえば、男性だろうが女性だろうが完璧な人間なんていないし、完璧ではないなりにも大人としての自覚と自立心を持った者同士で支え合って、一筋縄ではいかない困難の連続である「人生」というものを共に乗り越えながら家庭を作っていくのが結婚だと思っています。
もちろん色んな要素があると思いますが、特に私が感じるのは、すでに巷で言い尽くされていることですが、やはり結婚に求めるものが多すぎたり、人生に対する考え方が甘かったり、要は贅沢な人が多すぎることが未婚化の原因だと思うのです。
慣習的に機能していた地縁血縁からの紹介やお見合い、職場の「出会いの場」としての機能が時代に移り変わりによって弱くなってきたことで、マッチングアプリや結婚相談所などの婚活サービスが活況の時代を迎えています。
こうしたサービスでは婚活者は自分の思い描く理想の相手を検索してはお見合いやデートを申し込んだり断ったり断られたりを繰り返すわけですが、女性にとって理想の相手の判断基準の中でトップに上がるのは、やはり「お金」ではないでしょうか。
様々な調査では「性格」が結婚相手を判断する基準の1位になったりするものもあるようですが、「お金」とは思ってても言い難い人もいるであろうことも考えれば、やはり「お金」は極めて大きな要素だと推察します。
そして、不況、格差拡大によってお金が無い人が今の日本に増え続けていることが、生涯未婚率上昇の大きな原因なのは間違いないでしょう。
「女は結局金しか見てないって言いたいんでしょ」と非難を受けそうですが、やはり女性がお金を超重要視しているというのは紛れもない事実だと思います。
私自身、知人女性たちと結婚に関する話の中で「年収400万円以下の男じゃムリ」という発言も聞きました。また、自分の体験で言えば、「専業主婦になりたいからあなたの収入では・・・・」という理由で私から去っていった女性もいました。(体の良い断り文句として利用しただけで、本当は私の人間性に魅力が無かっただけかもしれませんが)
ここからタイトルを回収したいのですが、私は一昨年祖母を亡くしました。
お恥ずかしい話ですが、祖母を亡くすまで、私は祖母の一生を想像したことはありませんでした。
断片的に知る祖母の情報はもちろんありましたが、祖母の人生全てに思いを馳せるということはしたことが無かったんです。その祖母の人生が無ければ今の自分は無かったにも関わらず。
祖母はどんな家庭に生まれて、どんな風に育って、どんなきっかけで結婚して、何を思いながら、どう生きて93年の人生の最期を迎えたのか。祖母の死後、何ヶ月もの間そんなことばかり考えていました。
祖母は、戦争が終わった2年後に結婚しました。今より日本中が遥かに貧しかった時代です。
生活水準なんて高いわけもありませんし、贅沢なんてもってのほか。
お金も無ければ便利な家電だってありません。戦争に行っていた祖父はまだまだ駆け出しのサラリーマン。高度経済成長がこれから訪れるなんてまだ誰も知る由もなく、安定的な生活の保証なんてどこにもありません。新婚時代の写真に笑顔で写る祖母は、いつだってツギハギのある着古した割烹着でした。
そんな時代のなか、4人の子どもを育てながら、自宅で近所の子ども向けの塾を開いたり、一生懸命貯めたお金で家を増築して学生を下宿させ、いわゆる「下宿のおばさん」として学生たちの食事を作ったりと、とにかく強く生きて4人の子全員に高等教育を受けさせました。
祖父は祖父でもちろん一生懸命働きましたが、祖父の収入だけではそこまでのことはできなかったでしょう。
祖父母たちは、焼け野原となった戦後の日本で、お金も無ければ何の保証も無い中で結婚して、一生懸命働き、子を育ててきました。だからこそ私たちはここに存在しています。
当時はみんながそうだったから、それが当たり前の社会だから、何の疑問も持たずに貧しさが障害にならずに結婚していたんだとも言えるでしょう。
しかし、こうした祖父母たちの人生を想うと、今の婚活当事者たちの結婚相手に求める条件はとんでもない贅沢病にしか見えないのです。
ある程度のゆとりや保証のある生活をしたい。そしてそれができるだけの収入を人に求めて当たり前という思考。
こうした他者への期待、依存というのは、子が親に対してするものであって、大人が大人にするものではありません。今の婚活当事者たちは、いい歳をした大人が親に変わる新しい保護者を求めているようなものと言っても過言ではないでしょう。
「安定した生活が欲しい」。
それは誰もが望むものでしょう。しかし、欲しいものがあれば、自分たちの力で工面するのが大人です。
親が自分たちに与えてくれた安心や安定、物質的・経済的・精神的な拠り所。今度は自らがこれを次の世代に対して「与える」立場になるのです。しかし、現代の婚活当事者たちはいつまでも「もらう」立場にいようとして、その前提で結婚を考えているように見えます。
こんな他力本願で依存志向の精神でいいのでしょうか。祖父母たちに比べて、私たちは情けなくも人間として退化してしまったのではないでしょうか。
とても貧しく、便利な家電も無い中で一生懸命3人、4人といった子供たちを育てて命を繋いできてくれた世代がこんなに身近にいるのに、とても便利なモノやサービスに囲まれ、育てる子供の数も祖父母世代の半分程度なのに、それでもあれも足りないこれも保証してくれなきゃ困ると要求する。しかし、ご先祖様たちは、自分の力で、あるいは家族や身近な人や社会の中で互いに支え合いながら子を育ててきたのです。
今婚活をしている世代は、高度経済成長やバブルの時代の中で育てられ、専業主婦の母と会社員の父という両親のもと、物質的・金銭的に何の不自由もない、とても高い生活水準の中で育ってきた人が多い世代なのかもしれません。
したがって、それが当たり前と思い込み、そうした生活が自動的に自分以外の誰かによって保証されて当たり前と思ってしまうのかもしれません。
しかし、そんな時代が長い日本の歴史の中でどれだけあったのでしょうか。数千年のうちの数十年に過ぎません。もっと言えば人類誕生以来20万年のうちの数十年に過ぎません。
不況とはいえ、今の私たちは数十年の高度経済成長・バブル期を除いて、歴史上最も一日先の衣食住や命の心配がない時代に生きていると言ってもいいかもしれません。
ご先祖様たちは、20万年間、私たちよりずっと大変な思いをしてここまで命を繋いできたといっていいのではないでしょうか。
子を持つ意思、家族を持つ意思がありながら、歴史上最高に近い現在の生活水準以上の生活という贅沢を他人に求め続けて、結局最期まで一人で人生を送り、受け継がれてきた命の繋がりを経ってしまうという結果になったとき、どんなに大変な時代でもここまで命を繋いできてくれたご先祖様たちに、一体どんな顔をすればいいのでしょう。
もちろん確固たるポリシーを持って結婚も子を持つこともしないという人はそれでいいでしょう。
あくまで、結婚も子どもも望んでいながらお金や条件に拘っている人たちに対して言いたいのです。
未婚化(非婚化)やそこから派生するあらゆる社会問題の進行を少しでも食い止めるために必要なことの一つに、骨の髄まで染み込んだ贅沢根性と幼い精神性があると、感じずにはいられません。(自分自身も含め)